子供を信じるということ

あなたは、人を信じる事ができますか?自分の子供を信じることができますか?と言われて「はい」と即答できる人はどのくらいいるでしょう。信じると言うと自分発の信念にも似たようなそのひとの思いみたいに聞こえるが、もしかしたら、信じたいと言う気持ちがあって、後から対象を見つけるのではないだろうか。子供でも大人でも信じると言う事は、とても勇気が要る事で、信じられるほうの人がどうなっても何も言わないものではない...

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子供を産みたくない

なぜ「こんな時代に生まれてかわいそう」とか「こんな時代に産みたくない」などと言うのだろう。ここには2つの不幸がある。まず、「こんな時代」は、自分達もしくはその親の世代が創ってきたのに、そこに参加している意識は無く、本人はいつも被害者だ。「不幸な時代だ」といっていれば、自分は不幸な時代にした犯人でなくなるかのようだ。 まあいい、世の中の被害者意識の強い人は、その辺でポーズでもとっていてください。 問題...

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「昔はよかった」に希望はない

夏休みにお父さんが子供によく言う言葉。「昔の夏休みは、朝から晩まで外で遊んで真っ黒だったなあ」とか、「お父さんの子供の頃は、家の前の川で釣りができて、裏の山ではカブトムシが取れたんだぞ」もうどうしようも無いな。前の川で釣りができなくなったのも、裏の山でカブトムシが取れなくなったのも、そんなことを言ってるお父さん達が、「汲み取り式のトイレは嫌だ」とか、「食卓のうえのハエ取りリボンが嫌」なんていって快...

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子供に対する過干渉(過保護)

今日ふと過保護について考えてみました。過保護と言うことは、子供がすることを親が決める、もしくは子供のためと言いながら、選択をさせないと言うことではないだろうか。もちろん子供は未熟であるからサポートや多少の道案内は必要であろうが、選択をさせないと言うのは、「あなたは未熟だから私が言ってることをやればいいの」と言ってるようなものだ。とどのつまりこれは子供を信じてないな。自分の子供を信じられないというこ...

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子供に選ばせる

大人も子供も同じだとは思うが、何かを選択しなければいけないときは、「どちらのほうが、より幸せになれるか」を考えるのではないだろうか。でもって、どちらにしたら良いかを迷うときは、幸せの度合いを比べているのかもしれない。迷ったときはどちらでも良いからまず決める。それからその選択が正しかったように行動する。選択が重要なのではなく、その後の生き方が重要なのだ・・・。きっと。そうすればその選択は間違いじゃな...

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子供を信じるということ

子供を信じる、ということ。これは、「その子供が信じられるに値するか」ではなく、「親自身が自分の子を信じる自信があるかどうか」ということだ。私の母親は心配性で、今でもなんとなく心配されてるような気がする。若い頃はそれが本当にいやでいやで仕方がなかったが、今では心配させておいたほうが少しはボケの防止になるのではとそのままにしている。子供のことを心配しない親はいないが、やはり程度問題だ。「うちの子は・・...

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プロフィール

あさくらゆかり

Author:あさくらゆかり
幼稚園教諭・保育士
小学校特別支援員を経て
2007年より心理カウンセラーとして活動。
(株)kikiwellが運営する 
キキウェルメンタルヘルスサービスに所属。
電話カウンセリング8,000件
メールカウンセリング3,000件の実績。
マスコミ出演多数。
もっと詳しいプロフィールはこちら
http://kikiwell.com/staff/a_01.html
(キキウェルメンタルヘルスサービスのHPにジャンプします)

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